日本語のナ行の「音(ね)」に関係ある言葉には、鳴く、泣く、鳴る、ねぎらう、願う、ねだる、述べる、名乗る、祈る、呪うなど、音に関係する言葉がいっぱいあります。「値打ち」という言葉もここからできました。今回はそれらの言葉の語源について。
祈る(いのる)と呪う(のろう)は
どちらも心の中でつぶやくこと。
どちらも心の中でつぶやくこと。同じ「のる」でも、神主の「祝詞(のりと)」は声に出して言う。
ちなみに神職のことを総じて禰宜(ねぎ)という。
「ねぎ」とは「和ませる」という意味の「ねぐ」からきていて、「ね」は音(ね)で神様に向かってしゃべること。
禰宜(ねぎ)は狭義では神主や宮司の下の位。
伊勢神宮には、祭主・大宮司・少宮司・禰宜・権禰宜・宮掌・出仕と階級があるらしい。
祭主(さいしゅ)は、伊勢神宮にのみ置かれている役職で、「まつりのつかさ」とも読む。現任は今上陛下の妹の黒田清子(さやこ)さま。
伊勢神宮の祭主は推古天皇の時代から明治4年まで、ずっと中臣氏系(中臣・大中臣・藤波)の独占だったが、以降は皇族または公爵が継ぐことになった。
戦後は女性の元皇族が就任している。
話は元に戻るけど、
祝詞(のりと)の語源は、「宣り言(のりこと)」の「こと」がなまったのではないかと言われている。
しかし、この「宣る(のる)」という言葉も、実は言葉に出さずに心の中で述べるというのが本来らしい。
つまり、「宣る(のる)」は言葉に出してはいけないけど、「宣り言(のりこと)」は言葉に出していい。
さっきの「祈る(いのる)」と「呪う(のろう)」と同じで言葉に出さないのね。
そういえば、沖縄は神社の禰宜にあたる人を「のろ」って言うわね。
沖縄の「のろ」も基本的には「祈る(いのる)」と「呪う(のろう)」の「のろ」と同じ。
「のろ」は海の彼方の「ニライカナイ(黄泉国)」と交信するが、この「ニライカナイ」も僕は「願い叶い」に近い言葉だと思っている。
「願い」の語源が「音(ね)+交い(かい)」だとすれば、
神との交信を意味する言葉だ。
「神との交信が叶った地」が「ニライカナイ」なんじゃないかな。
ナ行には音や言葉に関係する語が多い
「ね」は音を表すから、ナ行には音や言葉に関係する語が多い。
●ナ音⋯鳴く、泣く、鳴る、慰める
●ネ音⋯音(ね)、ねぎらう、願う、ねだる
●ノ音⋯述べる、名乗る、祈る、呪う、祝詞(のりと)、のたまう、宣ぶ(のぶ)
「のたまう」は「のり+たまう」がなまった言葉。
「殴る」や「投げる」の語源も「音(な)」から生まれた?
岩波古語辞典の大野晋先生はその考えだったみたいだね。
「音(ネ)」はナク(鳴・泣)の「ナ」の転と書いてる。
神社の神職を表す禰宜(ねぎ)も元は「なぎ」だったのかもしれないね。怒れる神様を言葉で和ませる存在。
草薙の剣の「なぎ」や夕凪・朝凪の「なぎ」で平たくしたり、和ませるニュアンス。
「なぐ」という言葉は「平たくする、和ませる」というニュアンスの言葉。
草薙の剣の「なぎ」も横運動で草のデコボコをなぎ払う。
その横運動から「殴る」とか「投げる」という言葉が生まれた。
「なぐ+醒める」
と解釈する人とか
「なぐ+冷める」
「なぐ+さ+める」
と解釈する人とか、いっぱいいると思う。
南方熊楠はエライ人
南方熊楠は、『巫女(いちこ)に関することども』で、神社に仕える巫女を「かんなぎ」、歩き巫女の類を「みこ」とすると書いているらしい。
神を慰める役は「なぎ」だったんじゃないかと思う。
南方熊楠って人は、明治時代に、楠(くすのき)から取れる樟脳(しょうのう)が外国に売れるからって、悪徳業者がどんどん鎮守の森の楠を伐採してるのを、何とかしたいと思って、国民的運動を起こして国会に掛け合ったエライ人。
彼の活躍がなかったら、鎮守の森も荒らされていたでしょうね。
今思ったんだけど、「のろ」はオ音だから新しい発音、
元はア音だったとすると「なら」。
平城京の奈良とか平す(ならす)の言葉になるわね。
「値打ち」の語源は叩く音から
値段の「値(ね)」という言葉も、音の意味からついた言葉。
例えばスイカを叩いて熟れ具合を試すように、物を交換するときは、音を鳴らして品質を確かめた。
鉄や焼き物の質も音で判断する。
叩く。まさに音(ね)打ちね。
今回はこれまでっ!