稲作と漁労を主産業とし、高床式住居に住んでいた「長江文明」の人々。近年の発見により、日本の稲作は朝鮮半島経由ではなく、長江文明から直接伝来した可能性が出てきました。今日はその「長江文明」について。
日本人、チベット族、ヤオ族、ミャオ族に残るY遺伝子
これは地域別の「Y遺伝子」タイプの分布図。
●グラフ内の緑の部分が「ハプログループD2」という群で日本の縄文人の遺伝子ともされる(現在は「D1a2a」に変更。いろんな発見のたびに細かく変わって行くみたい)。
青い線で囲んだ日本とチベットに「ハプログループD2」が多いことが分かる。
●緑の線で囲ったのが「ハプログループD1」(D1a1a)が残る民族。
チベット族、ヤオ族、ミャオ族。
雲南省や貴州省ではヤオ族やミャオ族の美しい棚田の写真をよく見かけるが、特にミャオ族は中国から「苗族」と言われるくらいだから、古くから稲作と関係が深かったんだろう。
チベット族・ヤオ族・ミャオ族と日本人との共通の祖先がいた帯状の部分が、分断された感じにも見えるわね。
●日本人の約32〜39%
●沖縄や奄美大島では過半数
●アイヌの80%
●チベット人の49%
●ヤオ族の30%
●ミャオ族9%
等に観察される。
日本に稲作を伝えた「長江文明」
「長江文明」は7000年前にできた黄河文明よりさらに古い7500年前に長江(揚子江)流域に発達した文明。その中の河姆渡(かぼと)遺跡からは、水稲のモミが大量に発見され、世界最古の稲作遺跡であることが分かった。
この稲をDNA解析すると日本と同じジャポニカ種であり、日本の水稲栽培は、ここから渡来したと考えられるようになった。
また、稲の遺伝子の研究により、朝鮮半島には無い遺伝子(b)が中国と日本にはあることから、中国から直接日本に伝来したルートがあったことも分かってきた。
この文明は約4200年前に衰退した。
長江河口域の海洋堆積物の研究によって、約4400~3800年前に複数回、急激な大規模寒冷化が発生していたことが分かり、これが原因らしいとなった。
4200年前に起こった気候の寒冷化によって、黄河文明の人々が食糧を求めて南下し、長江文明の民を山岳地帯に追いやった。これがチベット族やヤオ族ミヤオ族として残った。船を持つ人たちは船に乗って逃れた。その一部が日本にたどり着き、稲作農耕を日本に伝えた。──そんなストーリーが思い浮かぶ。
夏王朝と三苗の戦い
三苗時代に、夜に太陽が現れ、血の雨が三日間降った。龍が寺に現れ、犬は通りで吠えた。夏の水は氷になり、大地は裂け、水が噴き出した。五穀は変異した。天はミャオ族に克服を課した。雷が連続し、鳥をともなった者がミャオ族の指導者を射た。後、夏王国は建国した。
(ウィキペディアより)
紀元前26世紀頃、華夏民族の君主・黄帝が蚩尤(しゆう)民族の討伐作戦を行った。戦いは黄河の台地で行われた。蚩尤は濃霧を起こして華夏軍を苦しめたが、黄帝は指南車を使って方位を示し、蚩尤民族を破った。
敗れた蚩尤民族はミャオ族と黎(リー)族に分裂し、ミャオ族は四散した。
一部は周代に華夏民族と同化し、一部の部族は春秋の強国である楚や呉の建国に関わった。
日本人がのんびり縄文文化している時代に、頑張ってたのね〜!
指南車って何?
4200年前の寒冷化の原因は火山噴火か?
7万4000年前に起きたスマトラ島のトバ火山の噴火では、大量の火山灰が日光を遮断し、地球の気温は平均5℃も低下。劇的な寒冷化はおよそ6000年間続き、地球はヴュルム氷期へと突入した。
日光が弱いため植物は育たず、動植物の9割が絶滅したのではないかと言われている。
ネアンデルタール人と人類以外のホモ属の傍系の種は絶滅した。遺伝的根拠からも、現生人類は6万年前にアフリカの外に出たわずか数千の人たちの子孫であると考えられている。
この頃から人間は服を着るようになった。
人の毛髪に寄宿するアタマジラミ と衣服に寄宿するコロモジラミに分われたのが、
近年の遺伝子の研究からおよそ7万年前であることが分かっている。
今回はこれまでっ!
前回の「歯、鼻」から派生した言葉の続きです。今回は「目」。空間的な「間」と時間的な「間」という概念が目から生じ、いろんな言葉を作っています。今回は「目、間」が語源と思われる言葉を一挙に紹介します! ただし異説もいっぱいある中の一例です。 […]
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